家では部屋にひとりでいる時間だけが平穏な時間だった。
また、英語の団体の活動も頑張っていて、よく福岡や佐賀に行ったりして活発に動いていた。
学校の友達より英語の団体の友達の方が仲が良かった。
そして相変わらず学校の長期の休みは大阪のママの家で過ごしていた。
でも新田のお母さんとの喧嘩も相変わらずで、高校の学校帰り、毎日のように友達と繁華街をウロウロしたり、友達の家に行ったりして遊んでいたが、家に帰ると「あんたなんであんなところを歩いてたの!」と、顔を見るなり怒られることがよくあった。
なぜかお母さんの友達が私を見かけると、お母さんに電話で報告をするのだ。
だから私が家に着く前に私の居場所がバレているのだ。
ウザい、本当に面倒で仕方がなかった。
なぜそこまで干渉されなくてはいけないのか、放っておいてくれと言いたかった。
相手は私の顔を知っているが、私は相手を知らないので、逃げようもない。
たまらなく面倒で、どうしようもなかった。
そんな高校1年の夏、英語の団体からアメリカへホームステイすることになった。
その活動の中で「両親に感謝のお手紙を書きましょう」というものがあり、私は素直に感謝の気持ちを書いた。
それは英語の先生に提出するだけのものだと思っていたからだ。
すると後日、お母さんが「なんなのあの手紙は!! ホームステイさせてくれて感謝しているとか書いてたけど、感謝なんかしてないくせによく書けたね!!」と激怒された。
「しまった」と思った。
あの手紙が親に渡されると知っていたなら、感謝しているなんて書かなかったのに。
なぜなら、素直に書いたらそうやって罵倒されて喧嘩になることがわかっていたからだ。
そこからまた悪夢の大喧嘩となった。
私はもうできるだけお母さんとの喧嘩を避けるように過ごすのが習慣になっていった。
もう「喧嘩ばかりで苦しい」という感覚さえ通り越していた。