シェフの味
遅い夏休みをとった私は、5年ぶりに南の小さな島に行く計画を立てました。
一番の楽しみは、その島のレストランで、無口なシェフが焼くステーキを食べることでした。
私は、旅行会社でスケジュールを決めた後、レストランに電話を入れました。
すると
レストランの支配人に
「そのシェフは今年の9月に引退いたしました。本当に申し訳ございません。それで、ご予約はどうされますか」と聞かれ
私は、迷いましたが、代わりのシェフのことは支配人に任せることにして予約をとりました。
10月の南の小さな島のレストラン。
私は、銀色の鉄板を前にして、背もたれの高い椅子に座っていました。
料理を決めて、しばらくすると
私の前に現れたのは
「あ!」
引退したはずのシェフでした。
シェフは、5年前と全く変わらない姿でした。
懐かしい。
「今夜は、ようこそいらっしゃいました」
シェフはそう言った後、黙々と料理を作り始めました。
一つ一つ丁寧に料理を作りました。
右隣のカウンターでは、若いシェフが、言葉巧みに女性客を笑わせ、左隣のシェフは、ナイフやフォークや立ち上る炎のパフォーマンスで家族連れを楽しませていました。
引退したシェフが焼いたステーキが私の前に出てきました。
私は、何もつけずに肉の味を楽しもうと思いました。
一口サイズの肉を箸で取り、口に入れると、肉の香ばしさと甘味が広がりました。
「本当に、おいしい」
私は、シェフの焼いたステーキに感動しました。
料理を食べ終え、満腹と旅の疲れからか、少しぼんやりしていると、
私の席に黒服の男性が挨拶に来ました。
「いかがでしたか、お味のほうは」
「大満足です。堪能しました」
「それにしても、引退したシェフがいたのには驚きました」と言うと、
黒服の男性は「はい、シェフは引退しましたが、お客様のリクエストに応えようと方々に連絡をしまして、なんとか見つけることができました」
黒服の男性は、さらに話を続けました。
「やはり、時代の流れでしょうか。古い型のシェフは焼く機能は優れているのですが、デザイン性、効率性、多様性に欠けていまして、どうしても新しい調理ロボットに取り替えざるを得なくなりました」
ステーキを焼く調理ロボット?
黒服の男性が去った後、私は、しばらく、シェフを見つめていました。
ほんの一瞬の眠り……。
「はっ」として私は、時計を見ました。
そろそろ、帰らなくては。
私が「シェフ、ご馳走さまでした」と言うと、
シェフは「お粗末さまでした」と言って、ゆっくり頭を下げました。