15日の朝、パチンコ店の開店前に並ぶ客みたいに、不動産屋が開く前にお店の駐車場で待って、開店と同時に店に入りカギをもらう。電気、ガス、水道などセッティングしてもらい業者の人が「ありがとうございます」と帰っていった。
バタンと戸が閉まる。「シーン」となる。トシカツは部屋を見渡す。当たり前のことだけど何もない。転勤、進学、新生活なら、ウキウキワクワクなのだろうが、今のトシカツには頭の中がポカンとするだけで、畳の上で寝ころびながら、天井からぶら下がっている裸電球を見て「オレは何でこんな所にいるのだろう?」運命の波から逃げられないトシカツだった。
トシカツは、寝ころんだまま、しばらく電池の切れたオモチャのように動かなくなっていた。まだカーテンも付いていないベランダの窓から、時を告げるように夕方の日差しが入ってきた。トシカツは我に返ったように体を起こして呟く。「そうだ、カーテン買わなきゃ」
一人
その日も半額弁当とビールを4~5本買ってきて、アパートで呑む。半額の安いのり弁のしなびた白身フライをつまみに、ディナータイム。テーブルもないから、畳に弁当とビールを直に置いて、背を丸くしながら、かがむようにして食べる。次に体を起こして顔を上げ開けたてのビールを胃に流し込む。テレビもないから携帯でユーチューブを観ながら夜が更けていく。
咳をしても一人。
しかし、人間の柔軟性には驚く。特に驚くのは環境に慣れていく能力である。
基本的に生きることに特化して、しかも、少しでも生きやすく住みやすいように工夫して、カスタマイズしていく。そしてどうにもならないことへの諦め方が潔い。
古代、人類がホモ・サピエンスだった頃から、生きること工夫すること、諦めることの能力で生き延び、人類王国まで創り上げたのだろう。二足歩行を覚え、危険予知が冴え、危ないと思ったら、とにかく逃げる。生きることだけ考えて逃げ回る。そして、その環境の中で慣れるように工夫する。
そんな大げさな話ではないにしても、トシカツもそんなDNAを受け継いでいるのだろう。長期戦になりそうな予感がする中、与えられた6畳一間で、いかに快適に生きるかがカギになりそうだ。
基本的にトシカツは運と勘だけで生きてきた。成績も運動もルックスも平均よりはいい方だった。それに相手の顔色を見ることにはかなり長けていた。アニメの『ワンピース』でいえば「見聞色の覇気」が強かった。違和感、共鳴感に敏感で、いわゆる鼻が利くタイプなのである。
今回この、面倒くさい地獄の扉を開けたのもこの能力のせいなのだ。