秋吉も同じ小学校の児童だった。僕は秋吉のことをあまり覚えていなかったけれど、向こうは覚えてくれていて、高校に入ってから付き合いが増えた。
「クールビューティーなんだよ」
「そういう問題か?」
僕は元来た道を振り返っていた。先ほど宮園と別れた駅が見えた。苦笑している秋吉に恥ずかしくなって俯いた。
「でもさ、俺、思うんだけど、宮園は翼が小学校に来なくなってから変わった気がする。お前が病欠した翌日に宮園も休んで、それから二人とも学校に来なくなってさ。宮園と街で会うようなことがあっても、笑わなかったもんな。冷めた目をしていたわ」
そう言われて思い当たる節があるとすれば母の自殺だ。どこからか線香の匂いがした気がする。少なくとも僕にとって生活を一変させた分岐点であった。僕の父は、事故で亡くなった。僕は当時まだ幼稚園児だった。葬式には宮園も来てくれた。
母、美晴さんの母であるお婆さんが詰っていた。確かに僕は母の血の繋がった子どもではない。一緒に聞いてしまった宮園が悲しそうな顔をしていた。ひどくいたたまれなくなった。僕のせいでお婆さんに怒られてしまう母に申し訳なかったし、怯えたような表情の宮園にも罪悪感を抱いた。
けれど母は僕のために言い争いをして、僕を受け入れてくれた。母は父が亡くなった後も僕の前ではいつも通りだった。口下手な人で誤解されてしまう性格だけれども、父や僕を大切に思ってくれていたのは分かっていた。
結局、母は自殺した。焼身自殺だった。父の後を追ったのだろうということで大人たちの話はまとまった。母の自殺により帰る家を失った僕は、今まで疎遠だった父の妹である叔母の東京の自宅に引き取られた。叔母は夫婦で暮らしていて、温かく僕を養子として迎え入れてくれた。
東京の利便性はあれど、望郷の思いは簡単には消えてくれない。南下する道をたどっていけば、下関市に戻れるんじゃないかと、途方もない妄想に取りつかれた。東京と下関の距離はかなり遠くて気軽に帰れるような場所ではなかった。
結局一度も帰ることなく東京で小学校を卒業し中学生活を送っていた。宮園と近所だったので手紙を出すこともなければ、電話をすることもなかったので、事件後連絡を取ることはなかった。