【前回の記事を読む】【小説】「さあこれで自由になったってことさ。」…よどんだ目をした同僚の反応は?
プロローグ 失業という始まり
同じ存在である私には、その義務の悲しさ、切なさ、そして崇高さが痛いほどに分かる。私にだって妻も子もいる。家のローンも残っている。分かるけれど、
「みんなそう?」
と問わずにはいられない。せっかく、『株式会社HBK』の社員ではなくなり、総務課係長でも、営業課課長でも、製造課主任でもなくなれる時が来たのに、すぐに再就職して、結局また同じ社畜に戻らなければならないのか? 食うためだけに、働かなければならないのか?
私にはそのことが疑問で仕方ないのだ。もちろん天職にめぐり合えたら最高だけれど、いい年した我々では、再就職できれば実際御の字なのである。もちろん再就職すればなんの肩書きもない、ヒラからの出発となるだろう。それは仕方ない。仕方ないなら、その前にちょっと寄り道くらいしてもいい。人生を少しだけ変えてくれるかもしれない、寄り道を。
すると一人だけ、チャレンジを実行するという奴がいた。尾道武明。一カ月以上かけて四国八十八箇所をお遍路すると、温厚な丸顔を照れくさそうにほころばせて、決意を語ったのである。皆少なからず驚いていた。家族思いの彼が、家族をほったらかしにしてそんなことを本気でやるということに。やれるのか? 家族を説得できるのか? という羨望まじりの問いに、何とかするしかない、と尾道は答えていた。
確かにうまい方法はない。何とかするしかないのだ。つられて私も、チャレンジを実行したいと決意表明した。リクとアカネの、十代の純愛物語を書く。集中するために実家にしばらく帰るつもりだ。
「あんまりハマりすぎるなよ」
高橋が私たちを冷やかした。
「次に会ったらよ、尾道が坊さんで、氷充が自称小説家になってたりしてな?」
尾道は照れ笑いして、
「気分転換だよ。帰ったらまた、サラリーマン道を歩き回るよ」
「その前に就職活道が待ってるけどな?」
くだらない私のダジャレを、皆が笑ってくれた。そして二人のチャレンジに、他の三人は乾杯のエールを送ってくれた。