日本はユーラシア大陸から適度に離れており、昔の舟ではなかなか日本に辿り着けない距離にあるため、古くから独自の文化、文明を保ち、同じ感性のもとに生きてきたのです。
日本は一九四五年に大東亜戦争に負けるまで、他国に侵略されたことはないので、日本人の感性に合った文化、文明を選別して取り入れ、日本の文化、文明に変容させていったのです。
日本は紀元前に一万年以上続いた縄文の文化を持っており、農耕、狩猟、採集の組み合わせで定住社会を継続しました。その後、天皇という権威を中心にして親和し、求心力を高め、二千年以上も続いた国民国家を築いてきました。
日本は紀元後に水稲を中心とした農業が行われましたので、水稲に適した農地を求めて争いが多くなり、権威や権力が重視されるようになります。
権威は巫女が神のお告げを人々に示すことから始まりますが、やがてこの権威に権力が取り込まれ、国を統一しようと動き出します。この国を統一する力になったのが神話です。人間は権威や権力を持った者が自分たちに都合の良い歴史を物語ることで、その権威や権力を維持してきたのです。
日本の「古事記」や「日本書紀」には日本国創造の神話から続く、神の子である天皇が日本国を統治している正統性が語られています。この天皇という権威と権力を持った日本国の統治者は、十二世紀に武士という権力者が出現して以降は権力を手離して権威に専念してきたので、現在でも象徴という形で天皇制が維持されているのです。
日本列島はユーラシア大陸の東端から東へ海を大きく越えて入った陽の性質に加えて、南北に長く伸びた国なので気候の陰陽である南の暑さと湿潤の陰が入り、北の寒さの陽も入っているので、この陰陽の性質の多様性を活かせるのか、混沌としたままになるのかは、この陰陽の性質を知ることが重要な鍵になります。
この東の陰の感性はユーラシア大陸の東から分かれて暑い南へ進むと東南アジアへと広がり、寒い北へ進むと蒙古地方に陽の攻撃力が加わって広がり、十三世紀にモンゴル帝国となって陽の膨張が働き、ユーラシア大陸を西に向かって陽の性質を追い求めるように進み、領土は東ヨーロッパにまで到達しました。