「加納屋さん、神崎家の名前、継いでくれるって。三男坊さんだから。今どき、嫁の籍に入ってくれる人ってなかなかいないし。これ以上の縁談はないって思ってるわ」

私がまた沸騰するのが分かっているのだろう、母親はぼそっと言った。

「なんでそこまで家に拘るの。そんなん、昭和の時代に終わってるって。時代遅れ、時代錯誤、古くさい」

私もできるだけ声を抑えた。

「朱里が生まれたときは、お祖母さまは喜んだのよ。でも映美が生まれて、また女の子かって言われた。この家の跡継ぎは次の男の子だね、て。もう怖くて、三人目は生めなかった。古いと言われようと、お祖母さまのひとことは、絶対的な支配力を持ってた。誰も逆らえなかったし反論なんてしようもんなら、それまでの味方がみんな敵になってしまう」

せやけど、もうお祖母ちゃんはいないやん。それに向こうはともかくとしても、その花器屋とうちが繋がるメリットが分からない。言おうとしたけど、母親の目に涙が浮かんだのを見て飲み込んだ。風が出てきたようだ。ベランダから、少し湿った空気が入り込んでくる。

「お父さん、外に子どもがいるのよ。それも男の子。認知もしてる。母親の名前は違っても、神崎家の長男ってことになる」

えっ――、まさか。噓やろ。あの父親に、子どもって。ええ――。ほんまに、ありえへん。

「まだ一歳になってないけど、そのうちここに入り込んでくる。それだけは絶対に許されへん」

この瞬間、私は父親を憎んだ。母親のためではなく自分のためでもなく、一歳に満たない子どものために。

「だから朱里が一日も早く、ここを継いでくれないと。もう明日にでも、そうして欲しい。でないとおちおちと眠ってもいられへん」

こうして真っ正面から見ると、母親は随分と痩せていた。化粧で何とか誤魔化しているけど、やつれが浮き出ている。でもそうかといって、自分の将来が今日や明日に決められてしまっては堪らない。

「今は頭が混乱してよう考えられへんから、部屋に戻るわ」

力尽きたように、母親は頼りなく頷いた。部屋に戻り、布団に潜り込んだ。鮮やかなピンクに白い小花を散らした天井を見上げていると、本当に頭がぼやっとしてきた。こんなとき、やっぱり先生しか思い浮かばない。明日は先生に会える日だ。そう思うと、どうにか眠れそうな気がした。