望み

宇宙に生まれた人は、宇宙が出現する前の歴史をたどるように生きてきました。これはベースとなるプログラムです。人は、シリンと呼ばれる銀河からスタートして、八つの銀河を体験して、最後には天の川銀河の地球にたどり着いています。

最終的にたどり着いた地球では、八つの銀河全体での一番の望みを満たす行為が集中的に起きます。なぜなら、受精卵(種子)の核は、生命体たちの望みです。未来で体験したい事があるから未来へ行きます。未来へ行きたいコアが、未来で何を体験したいか、共通する望みを何にするかを徹底的に精査する作業を地球で行います。

一番の望みは“救世主を求める”というものでした。それは、宇宙以前の歴史でも同様でした。

救世主を求める望みは、最初はとてもシンプルな望みです。問題はなさそうです。けれども様々な要素が加わり、収拾がつかない展開をします。問題だらけです。望みを叶えながら、どこが問題なのかを調査されていきます。

救世主がいるとするなら、需要と供給の原則からして救われるべき弱者がいなくてはなりません。それは被害者です。そうすると被害者を作り上げる加害者が必要です。自分では手に負えない被害を被らないと、救世主の出番はありません。それほどの被害を与える加害者とは、どれほどの闇を体現すべきでしょうか。

長く待っても救世主が現れないと、救世主が救わずにはいられないだろう悲惨な被害が生じます。そして、もしかしたら自分が救世主ではないかと思う人が出てきます。もう待ちきれないので同意が起きます。誰かが救世主として崇められる幸福を味わうと、他のたくさんの人も、そんな特別な幸福を味わえる存在になりたくなります。

けれど、待ちに待った救世主がいっぱいゾロゾロいてはありがたくないので、大勢の救世主は許されません。そのために、ほとんどの人が加害者と被害者の立場で、救世主の出現を待つという設定が共有されます。

一部の人の中で同意された救世主が現れても、これに競う別の救世主がやがて現れます。救世主はだいたい立場を限定されるか危うくされます。

ずっと救世主でいたい人は、他の人に失脚させられまいと工夫します。優位性を強く示し、やがて支配せずにはいられません。存在にはもともと上下があるという概念を信じ込ませて立場を確定させます。これには実際に自分の下にさらに上下を作らなくてはなりません。一部の人を最下位の立場に押し込めて自由を奪います。支配と同時に自分以下の者は常に闘わせ弱らせて、自分は超越した立場で君臨します。

救世主を求め、救世主に救われるか弱き自分。これは美しい幻想でした。多くの絵画にそれは描かれました。心の中にある強烈な憧れを絵の中に見ます。多くの人はそこに神聖なるものを感じます。

最初に意識が誕生して自他の認識が生まれる前に、神聖美への感受性が生じたことが、その始まりですが、この時の感受性は中立です。

多面性への理解が美です。弱い自分という設定は多面性への理解の少なさです。つまり、多面性への理解を深める方向を進化とする意識が生まれた事になります。これ自体は、素晴らしい意識の誕生です。