大打者の指標、敬遠四球
次に「敬遠四球」の記録をのぞいてみよう。
元広島の山本浩二氏は試合解説をしているとき、アナウンサーに「打者の実力をみるときの一番大きな指標は何か?」と問われ、「敬遠四球」の数だと答えている。
なお、敬遠四球が通常の四球と区別されたのは1955年からである(というより、それまでは、故意に四球を与える行為そのものがなかった)。そのため川上は当時敬遠四球34個の日本記録保持者でありながら、通算敬遠四球数は70個にとどまっている。山内の場合も、最初の3年間は記録になかった期間がある。
通算記録で200個以上の打者は王、張本、長嶋の3名しかいない(表3)。山本浩二氏が言うように、打者の価値を裏づける大きな一つの指標と言えようか。
しかし、入団から4年で99個(100個ならば一つの記録として残ったであろう。残念!)の長嶋が、結果通算205個に終わっている。入団5年目は7個だった。これは、この年初めて長嶋が無冠に終わったこともあるが、一番大きな理由は”王の大成長”である。この年から、王(入団4年目)は「打撃開眼」し38本で本塁打王になっている。3番、4番の打順を分け合っていた両者は、敬遠四球も分け合っていたのであろう。
もし、ダントツの王がいなかったら、長嶋の敬遠四球の数は300個以上になっていたと思う。逆に王も500個以上はいったと思う。なんせ両者合わせての敬遠四球数は632個に上る。
ちなみに張本と3番、4番を組んだ大杉勝男の敬遠数は92個で両者の合計は320個、ONの半分である。しかし、張本は高卒である。入団4年目までの敬遠四球は46個で、さすがと言えよう。
後に種々の数値で述べることになるが、張本の他の記録をみると特徴がある。シーズンごとにみると打率やそれにつながる部分はさすがといえるが、それ以外は特に目立ったものがない。しかし、トータルするとかなりの数値となる。たゆまぬ努力をコツコツコツコツと継続してきたたまものであろう。