第二章 "第2次所得倍増計画"の実施

「所得倍増計画」は池田勇人内閣のもとで策定された、昭和30年代半ばから40年代にかけての経済発展を支えた政策である。所得倍増を合言葉に昭和39年開催の東京オリンピックに向けて日本国中が沸き立っていた時期である。それと同じ計画を実施してみようということであるが、当時の低い所得を倍増させることはそれなりに実現は可能であったろう。

現在の所得はというと、1990年代から続く暗黒の30年の影響で国民の所得はずっと停滞したままで、総務省統計局の「世界の統計、一人あたりの国民総所得」(2019年)によれば、カタールやUAEなどの新興国にも抜かれてしまうありさまではあるが、かといってその額を倍増させることは至難のことであろう。

昭和30年代と状況は大きく違っているのだが、しかし目標は高く掲げて達成に向けて国民が頑張っていくということに意味があるのではないか。従って、敢えて第2次所得倍増計画と銘打って実践に入っていくべきである。

令和3年9月に自民党の総裁選が実施された。そこで岸田文雄元政調会長が総裁に選出され、10月の臨時国会で内閣総理大臣に就任したのであるが、総裁選にあたり政策の中で成長と分配の好循環として「令和版所得倍増」を提唱した。当時、本書の執筆を行っている真っ最中でのことで、私が提唱をしている所得倍増という政策の内容とどこまで重複しているのか、そしてどこまで具体的に論じられているのか固唾を呑んで見守っていたのだが、ことのほか突っ込んだものではなかった。内容としては大雑把なものであったが、私の提唱する内容と政策的には大きな違いはないようだ。

ただ、新しい資本主義実現会議というものを作り、実現にあたって議論をしていくというので、どこまで真剣に取り組んでいくのか注視していかねばならないと思っている。総裁の任期は3年であり、所得倍増という政策は大きすぎて、3年である程度の結果を出すことは困難であると思われるが、期待をしたいと思うところだ。

岸田総理大臣の出身派閥は宏池会であり、池田勇人氏が作り上げた名門派閥だ。従って、岸田総理大臣の脳裏に、戦後の復興を大きく推進させた池田勇人氏の所得倍増計画があったのは至極当然のことだと思っているし、国民のために10年20年の長期にわたるスパンの中で進める大切なものである。それらに触れて、私は自説を論じていくこととする。