しかし来栖のほうは彼女の見合い話については何が何でもはっきりさせたいというほどの強い意志はなかったが、一人で彼女の真意をいろんな風に臆測することはあった。一昔前に言われていた女性の結婚適齢期からみて、少し年がいきすぎている彼女がこのような話を持ち出したということは、二人の独身男の反応を確かめたいという思いを持っているということなのか?
彼女が結婚の意志をはっきりと示したということには、二人を憎からず思い、これからもっと親しくなっても良いという前向きの態度が表れていると受けとめることもできる。彼女が見合い話をそのような意図で持ち出してきたということならば、二人の煮え切らない男に活を入れ、「もっと積極的に私に近づいて!」という意思表示だ。
さらに一歩進めて、真理はどちらか一人を結婚相手として考えることまで想定しているのではということもあり得る。そのため男性のほうもそれに合わせて結婚という形で女性と深い結びつきを固めようとする方向に向かうのかということには、来栖自身、自らの身に照らし合わせると、何か釈然としないわだかまりを抱えてしまう。
真理との関わり以前に女性とつき合った時も、結婚するかどうかという関係に入るほどに深く結びつくということがどうしても考えられなかった。実際にそのような結びつきにまで人間関係を深めたこともなかった。それどころか異性と深くむすびつき、将来生活を共にしてみると予測するような考えにも全くなじめなかった。
特に母親が自死ともつかない死に方をした直後からこのような気持ちがさらに嵩じていったように思う。近しい人間を順に失っていき、弟までもほとんど自死とも呼べる事故死の形で失った時期である。人と結びつくということよりも、簡単に人は死んでしまうもので、他人との関係をどれほど緊密に結ぼうとも、最後には喪失感しか残らないという事が単なる観念ではなく、一種の認知感覚として根づいてしまっていた。
他者と結びついてどれほどの親密な関係を築こうと、死別や別れは早らかにやってくるものという思いがあった。重苦しい喪失感を抱いてしまうと、自分の神経に突き刺さってくるような何か得体のしれないものを何度も受けとめたという感覚しか体に残らない。