肛門から回虫が出てきた
一週間も杖がなくては歩けなかった。やっと傷口がふさがった頃、またまた大変なことになった。
ウンチをして息むと肛門から白いみみずのようなものが出てきた。指で摑んで引っ張り出すとくねくねと動き気持ちが悪かった。
母を呼んで見せると、回虫がわいたのだと言って、近くの医院へ連れていかれた。肥やしに人糞をやるので畑で採れた生の野菜を食べると回虫がわくのだそうだ。
老医師の診断で二日も断食して下剤を飲んだ。胃や腸のなかで回虫を生かしておくわけにはいかないので老医師の指示に従った。
Mは水しか飲めず、とても辛かったが我慢するしか仕方なかった。
晴雄のお陰で曲がりなりにも飢えから解放されたと思っていたのに、二日間とはいえ、もっと辛い断食という饑餓を老医師から強制される羽目になってしまったのだ。
原爆が落ちてくるのを見た
朝から快晴で雲一つない、抜けるような青空が広がっていた。
Mは医者にもかからず晴雄がくれた赤チン治療だけで左足裏の深手もふさがり、やっと癒えた。あれは杖なしで左足を引きずるようにして登校した一九四五(昭和二十)年八月六日の朝のことだった。
学校に着くと、すでに定例の八時開始の朝礼が始まっていた。
Mは慌てて校門脇にある二宮金次郎の像の前に立った。校長の朝の挨拶が終わると、生徒一同、男は木刀、女は竹槍を持ってきて、薩摩芋の畑にされている運動場の畦に並んだ。
朝礼台の上に立つ男の先生の号令に合わせて「ええい、や! ええい、や!」と木刀を振り、竹槍を突き始めた。
Mも遅ればせながらも木刀を構えて振りかざそうとした。そのときB29の爆音が聞こえてきた。
ふと上空を見上げると、落下傘が一つ黒っぽい筒のようなものをぶら下げて落ちてきた(平山画伯は三つと書いているがMが見たのは一つだけだった)。一瞬の奇妙な光景が、Mの脳裏に焼きついた。何だろうと思った。
朝礼台の先生が飛び下り、大声で「逃げろ! 教室へ」と大声で叫んだ。生徒たちは一目散に駆け出した。
その瞬間、辺りが急に明るくなって、ピカッと強い光線が走った。
「写真うつしたど!」と誰かが叫んだ。
間髪を入れずドーンと地面を揺るがすような轟音が響いた。