『八汐の海』
両手をポケットに入れて、伏目で、知り合う前みたいによそよそしく。このムードはよくない。
「ごめん。連想がよくない。貧乏絵描きで」
「……起きて、服を着て、口を漱いだ。僕の女房になって」
「……あの絵、わたしだった、きれいだったけれど、実物とは違うのね」
「違わない」
「毎日鏡で見るわたしとは違う」
「僕の見えるとおりに描いた」
「……わたしは……三十五になっちゃったのよ」
「話を逸らさないで。ちゃんと返事するまで何回でも言うから。僕の女房になって」
「……一人で放っつき歩いているみたいにして言うんだ」
「……難しいんだね……」
足を止めて向き合って
「いやらしい眼で済まない。女房になって」
「本当に……難しい……わたしが困っていたら助けてくれるんでしょう? こんなに困ったこと……なかったのよ」
「……わかった……あなたは……セックスじゃ降参しない人だね」