人間の死に関連して、来栖には子どもの頃から人には打ち明けたことのない悩みがあった。
幼い頃はまだ両親もかなり裕福な暮らしができていたので、専用のお手伝いが一人ついており、彼女の年齢と子供に対する奉仕の中身を考えると、むしろ死語となってしまった「乳母」の呼称が適切だったろう。
幼い頃の来栖は、母親にはあまりかまってもらえなかったが、この乳母には本当に細やかな愛情で面倒を見てもらった。彼がむずがって簡単には寝ようとしなかった時など、彼女はおとぎ話や伝承めいた話、中でも先祖が霊になって現れたりする話とか、荒唐無稽なストーリーで語られる怪異譚を独特の抑揚とリズムを加味して分かりやすい言葉で聞かせてくれた。
多分その頃からだろうか、御先祖さまの霊という目に見えない存在に対し、親しみと恐怖という全く正反対の感情がないまぜになったような気持ちを植えつけられた。
その乳母も今から推し量ると多分七〇代後半の年齢だったか、彼が一二歳になった時に亡くなってしまった。さすがにその頃には少しは大人に近づいたということなのか、乳母のような存在に親しみを覚えるような気持ちは次第に持たなくなっていったようだ。はっきりとした理由もないままに祖霊と呼ばれるような目に見えない対象を怖がるという兆候も出なくなっていた。
それが長い潜伏期間を経てぶり返してきたのが多分母親の死がきっかけではなかったかと思う。母親のほうは眠れない時など、夜中であろうと家の廊下や裏庭などを徘徊する性癖があった。来栖のほうも寝つけない時などベッドを脱け出し、そのような場所で母親に出くわしてしまうことがあった。
今から振り返れば彼のほうにも徘徊の性癖が多少はあったのだ。そこに母親の姿を見て驚かされ、彼は何か恐ろしいものを見てしまったという気持ちになってしまうことも時たまあった。