周囲のすばらしい景色を眺める余裕もなく、ただ足元を見つめ、黙々と30分くらい歩いた善一さんは、「疲れた」と言って、車を近くまで持ってきてほしいと私に言った。
車に座った善一さんは、開口一番、「あれくらい歩ければいいよな、充分なのにな」と先ほどの杖の老人のことを言った。
以前の善一さんの口からは絶対出るはずのない言葉だった。私はそのつぶやきに、善一さんの深い絶望の片鱗を感じたのだった。
けれども、こんな天気の良い日、こんなに景色の良いところには、絶望の言葉は似合わない。
「リハビリ頑張れば、すぐあれくらいに戻れるよ」
私は、あてもないことを妙に元気良く話しかけたが、善一さんの返事はなかった。
「なんだか夢を見ているようだ」
と善一さんは時々言ったものだった。そして私も。
ずいぶん長いこと、これは夢、悪夢なのではないか、明日の朝になると何もかも元通りになるのではないかと、ずいぶん甘い期待をしていた。
けれども、いつまで経っても、誰もこれが夢だったとは言ってくれなかったし、善一さんの足は治るどころか、日に日に悪くなり、退院して半年後には、平坦な道さえも、ゆっくりゆっくり、人の何倍もの時間をかけて、慎重のうえにも慎重に、そろりそろりと歩かなければならなくなり、その次は壁や塀に片手をかけて用心しなければ、前に進むことが怖くなるくらいになってしまったのだった。