二人の出会いから五年後。稔に続いて和枝も就職し、一年が経っていた。稔はオーディオの次に好きな電車、それも円を描いて走る縁起の良い山手線で、満を持して和枝にプロポーズをした。そんな大事な話をするのも、相手が好きな場所ではなく、自分が好きな場所にするのが稔流だ。

西洋人のように跪くこともなく、指輪を差し出すでもなく、二人が横並びで座っている時に、稔はごく自然に結婚を申し込んだ。そのナチュラルさが逆にかっこいい、と稔は映画のワンシーンの中にいるような気分で横にいる和枝を見た。それに対して和枝は食い気味で答えた。

「やだ」

「え?」

稔は思わず裏返った声で聴き返した。プロポーズとは断られない自信があってするものである。稔も例外ではなかったので、すぐには何を言われているのか分からなかった。しかも何故だか和枝はキレている。

「私は一人っ子だし、両親が年を取ってから生まれた子だから、二人の面倒を見なきゃいけないの。折角大学まで出してもらったし、貿易の仕事がしたくて今の会社に入ったから無理」

稔はぐうの音も出なかった。この状況で「でもね」と説得を試みようとしても、「でも、じゃない」と一刀両断されるのは経験済みだ。稔は口をパクパクさせ、「言ってやった」と堂々としている和枝の横で、終点のない山手線をぐるぐる回った。

それでも稔はめげなかった。翌年、和枝が二十五歳になるのを機に、当時の『女性の結婚クリスマスケーキ説』の波に乗り結婚した。やるときはやる男なのだ。前回の失敗を踏まえ、今回はタイミングと需要と供給を慎重に考慮した。今回の作戦はこうだ。正直、稔にはお金もないし力もない。しかし九州の次男坊である。長男が重用される習慣で、次男はいないも同然だ。

そこで自らを差し出した。「和枝の両親を自分の両親だと思って一生面倒を見る」と約束をして、結婚に漕ぎつけたのだ。名付けて勝手にマスオさん作戦。相手の弱みに付け込んだ少々ずるい作戦ではあるが、和枝と結婚できるのなら、自分のすべてを捧げることなど安いものだった。和枝がいない人生には、価値がないのだから。

しかも今回の作戦は、和枝の心に異常なほど響いた。和枝は幼い頃からずっと、年老いた両親の面倒を見なければいけないことだけが気がかりだったからだ。そこへ、この申し出は、和枝を十二分に安心させた。自分一人だけの人生ではなく、頼れる人が現れたのだから。婚姻届には魔法がかかっていて、書いた瞬間から突如として稔が頼れる男になった。いや、そんなわけはなかった。

結婚したその日から、稔は早速和枝を「お母ちゃん」と呼んだ。まだ子供もいない状況で、いきなりお母ちゃん呼ばわりをされた和枝は釈然としなかったが、子供の頃からずっと長男ばかりが可愛がられていたと稔から聞かされていたため、誰かに甘えたかったのだろうと不憫に思い、お母ちゃんでいることを受け入れた。これが、買ったら取り消しができない苦労の始まりだ。