〈子どもが生まれる〉1996年

それから数ヵ月後、私は長女を出産するために実家に戻りました。

その1ヵ月半は、母が何でもやってくれ、笑顔と幸せに包まれた、本当に幸せな日々でした。予定日に、予定通りに入院し、8時間の、私にとってはかなりキツイ最初の出産でした。

子どもが生まれると連絡を受けた夫は、職場から駆け付けました。初めて見た我が子を、彼は抱き上げて観察していました。

「かわいい」とか「嬉しい」とか、または私に対して「ありがとう」とか、「お疲れさま。よく頑張ったね」、などという気の利いた言葉は何もなく、ただ娘を抱いて観察していました。

私はこのときも、初めての自分の子どもを見る男性の反応と言うもののお手本を知りませんでした。妻にかける言葉も、娘に対する態度も、仕草も、何もかも初めてのことで、いまにして思えば、このときも本当はおかしかったのでしょう。

妻に労いの言葉の一つもかけるのが、優しい旦那さまなのでしょう。

病院に着いたら赤ちゃんがいた。そこに至るまでの妻の苦しみも、痛みも、頑張りも、何も彼には想像もできなかった。そのことについて事前に調べるなどという高度な技を使えるはずもなく、ただ娘を観察する夫。

思い返せば、私がつわりで苦しんでいたときも、何の声掛けもなかった。声掛けどころか、浮気でそれどころではなかった。どうしたらいいのかわからないなりに、何かしようと努力する姿は、一切見たことがなかった。

産後、2週間ほどで自宅に帰ることになりました。それまでいろいろとお世話をしてくれた母には、本当に感謝してもしきれないほどです。

そのサポートがなくなることに若干の不安はあったものの、夫が、「早く帰って来てくれ」と言うので、2週間後に自宅に戻りました。

そのときは、きっと早く私たちに会いたいのだろう、寂しいのだろうと、自分に都合の良いように解釈していましたが、いま思えばそれも「一人で自分のことをするのは不便だ。早く嫁に帰って来てもらって家のことをしてほしい。面倒な家事はやりたくない」という感じだったのだと思います。

〈長女の育児〉

自宅に戻った私は、早速慣れない育児に追われる日々を過ごすことになります。

何時間経っても泣き止まない娘、ずっと立ちっぱなしで抱っこして、何もできない。食事の支度はおろか、掃除も洗濯もまともにできませんでした。

だけどそのころの私は、夫に「手伝って」の一言がなかなか言えず、仕事をして疲れているだろうと、いろんなことを一人で抱え込んでいました。

そんな様子を見ても、夫は何か言うわけでもなく、忙しそうにしている私を見ているだけでした。ときに「よく泣くね」とか「なかなか寝ないね」などという感想を述べるのみ。

「大変そうだね、手伝おうか」

そう言ってくれるような人だったら、いま私は離婚などしていないはずです。一人ぼっちの育児でした。

このとき、もっと自分のして欲しいことを言えればよかったのかもしれません。どっちがいけなかったんでしょうね。言えないほうか、察しないほうか。

どちらからも歩み寄りのないまま、育児の負担はどんどん私にかかってきました。私が言わなければ、このままどんどん私の仕事は増えていく。