矛盾と迷走

「おい蓮、大丈夫か」

「え? ああ」

謙介は、口を閉じたまま景色を眺め続けている蓮に向かって、横から話しかけた。

「なあ謙介。俺、何かが壊れそうで怖いんだよ」

「蓮、まあ落ち着けよ」

体が冷めたのか、謙介はまた肩まで湯船に浸かっていた。

「え?」

「まあ無理するなよ。まだそうと決まった訳じゃないんだからさ。いつでも相談は乗るから。何かあったら言ってくれよ。あんまり一人で考え込まない方がいいぞ」

「ああ、そうだな」

謙介と会話をしているうちに、蓮の頭の中で、整理がついてきた。やはり、おふくろにこの件は話さない方がいいなと、蓮は思った。有花は蓮に似て(蓮が有花に似たのかも知れないが)神経質な性格であった。職場でも、上司との付き合いに苦労するようなタイプだ。蓮が社会人になってからは、家に帰ると有花は、自分の会社の愚痴ばかりを蓮に話すようになっていた。

省吾は少し前に家を出て、一人暮らしを始めていたし、祖父母はもう高齢だ。家の中での有花の話し相手は、常に蓮だった。血液型が違ったなんていう事を話したら、きっとおふくろは、面食らってノイローゼにでもなるんじゃないかと思った。だが、底知れない不安と違和感は蓮の体をむしばみ、居ても立ってもいられず、この件を話す為に、永吉の住む家に行くことにしたのだった。

永吉が住んでいる自宅は、永吉の実家の隣町にあった。車で二十分ほど離れた場所だ。永吉の実家までは大きくはなかったが、そこは立派な一軒家であった。庭に入ると、ワゴン車と軽自動車が一台ずつ止めてあった。蓮はその横に、並べるようにして車を駐車した。

「お邪魔します」

玄関を開けると、永吉とあおい、そして二人の子ども達に迎えられた。

「いらっしゃい!」

あおいと目が合うと、蓮は直ぐに頬を赤くした。子ども達は、永吉と有花の後ろに恥ずかしそうに隠れた。永吉は蓮の事を、子ども達に話をしてくれていた。中学一年の兄と、二つ違いの妹だ。彼らにとっては、もう一人兄がいたという事になる。蓮にとっても、歳の離れた弟と妹がいる事になるのだ。兄と二人兄弟だった蓮にとって、いきなり弟と妹が増えたと思えたかといえば、そうではなかった。

自分の兄弟というより、むしろ親戚の子どものような感覚であった。それでも彼らは、蓮のような兄がいたという事を知った時に、嬉しかったそうだ。蓮が家に来ると彼らはいつも、恥ずかしがって口数が少なくなった。蓮は無理に二人に話しかける事はしなかったが、蓮がいない時には「蓮兄ちゃん」と呼んでくれていると永吉から聞いた事があり、素直に嬉しかった。

あおいは、蓮が家に来るといつも豪華な夕食を作ってくれる。あおいは料理上手だった。その日の夕食は、蓮の大好物である海老を使った、伊勢海老が丸ごと入ったグラタンだ。これは、そこらのお店で食べられるような代物でもない。ましてや、有花がこんな夕食を作ってくれた事など、今までに一度もなかった。

蓮は、これだけ料理上手な奥さんを妻にした親父はどれだけ幸せだろうかと、羨ましく思えた。