第二章 抱きしめたい

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朝の新鮮な風が、校舎の屋根をなぞってどこかに去って行く、何時もの月曜日だった。体育祭の余韻からは、もう覚めているはずなのに学校全体は、まだ疲れが取れていないようだ。朝のホームルームの時間に、各教室に設置されているスピーカーから校内放送が始まった。

「皆さんおはようございます。本日、避難訓練が実施されます。非常ベルが鳴りましたら全員速やかに、グランドに集合して整列をしてください」

ベテランの先生の落ち着いた説明があった。そして予告の非常ベルが三時間目の始まる前に鳴った。

訓練とわかっているので、誰も慌てる生徒はいなかった。何かのんびりとまるで遊びに行くような雰囲気で、教室からグランドへ向かった。

三年生は華岡とは同じ校舎の二階だった。真ん中に階段が有る構造で、二人は両端の教室だったが、不思議なことに出会う機会は少なかった。教室を出て森山が、鉄平の肩に後ろから両手を乗せて押しながら進んだ。

中央の階段へ、両方の数クラスの生徒が一斉にグランドへ向かったので階段は一杯になった。特に、真ん中で曲がっている踊場付近が混み合って前に進めない。鉄平はすぐ前の生徒に、ぶつかりかけて止まった。

後ろから来る生徒も同じで誰か僕の肩に両手を乗せて軽くぶつかった。何か優しい感覚が伝わり女子だと思った。振り返って後ろを見た。

「あ! 華岡さん」

「滝沢君」

彼女の柔らかい胸の膨らみが、僕の背中に無言で話しかけた。

横にいた森山が、皆に大きな声で言った。

「おーい、みんな早く進めデートに遅れるぞ。約束の時間に間に合わないぞ。年上の髪の長い、まつ毛も長い、脚も長いと思うけど?……それから説教は特に長い、でもスカートのすそは短い。彼女が怒るだろう」

どうやら年上の彼女は、新任の若い女の先生の事らしい。あちこちらから笑い声が起こった。相変わらず皆を笑わせた。

「そこで騒いでいるのは誰?」

ミニスカートに注意をされた。そしてグランドに全員集合して訓練は無事に終わった。

鉄平は、この日の出来事は帰宅しても背中の優しい感触が消えなかった。

冬休みが終わって、いよいよ高校受験モードになった。こんな時期に関係なく、今は別のクラスだが、一年生の時に同じクラスで野球大会の応援に一緒に行った事のある北川が、鉄平に頼みが有ると言って昼休みに教室にやって来た。話は、北川のクラスの加藤早苗に、交際を申し込みたいらしい。

「滝沢君、お願いだから加藤さんの家に一緒に行ってほしい」

「僕が行っても何も役に立たないと思うよ」

「でも、一人で行く勇気が無いから頼む」

「君のクラスの友達に頼んだら」

「でも、同じクラスの男子が一緒だと加藤さんも意識すると思うから駄目だと思う」

確かに理論的だと感心した。

「分かった、それでいつ行くの?」

「今日学校が終わったら行きたいと思っている。家に帰って自転車で滝沢君の家に行くよ」

「うん、わかった家で待って居るよ」

鉄平は、彼の行動力と自分のふがいなさを比べていた。

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『爽快隔世遺伝』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。