しかも母の場合、それだけでは済まなかった。遊びの面でも、フィールドアスレチックやスキー、スケートなど、幼稚園のたいていの子が経験するような遊びにママ友から誘われても、ウチの子は運動神経がないからうまく出来ないだろうし危ないし……と参加させてもらったことは一度もない。
もっとも私は根っからの性格が臆病で、しかも日頃の母の言動から、てっきり自分には運動神経がないと思い込んでいたものだから、そうした母の教育方針をラッキーと感じていたことも否めない事実ではある。
結果として、幼稚園を卒園するまでの二年間、母が私を置いて家を出て行くことはなかった。とは言え、穏やかだった私の人生は百八十度逆転してしまう。
テレビゲームをしたり漫画本を読んだりといった好きな遊びを我慢しながら受験勉強に明け暮れて、ただでさえストレスが溜まっていたところに、年中組の頃は父と母が毎週末のように衝突するところを、そして年長組になってからは毎晩祖母と母の激しい罵り合いを見せつけられてきたのだ。
まだ自我が十分に育っていない子供にとっては、家庭が世界のすべてである。そこが突如として愛情も温もりも感じられない殺伐とした場所に変わってしまったのであるから、幼い私の心が知らぬ間にバランスを欠いていったのは当然の成り行きだったのではなかろうか。
臆病な私の心は、ますます臆病になる。