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十二章 コロナ・コンテストと主婦の翼とスフマート
二〇一九年末、中国の武漢から発生したコロナウイルスは急速に感染拡大、世界保健機関は、二〇二〇年一月三十日、緊急事態を宣言、ワクチン接種証明がないと入国できない国まで現れて、世界中が大混乱に陥った。
日本ではマスクの買い占めが起こり、家族にコロナ感染者が出たら世間から白い目で見られ、一家で引っ越しせざるを得ないケースも出た。
政府は感染者数を連日報道、うがい手洗いの徹底と外出時のマスク着用、また不要不急の外出は控えるよう連呼、ウイルス蔓延防止のため、人と人との距離をとることが大切とし、「三密」という新しい言葉が生まれた。三密とは、密閉、密集、密接を指すが、この三密を避けるため、飲食関係の店は大打撃を被る。
記憶に新しい例として、二〇二〇年四月、明治元年創業、百五十年の歴史をもつ歌舞伎座前の老舗弁当店が廃業に追い込まれた。コロナの影響で歌舞伎座公演が相次いで延期、客足が激減した店は立ち行かなくなったのである。
音楽の世界では、歌舞伎同様、各地でコンサートが中止、特に飛沫感染の恐れが大きい合唱は、趣味のサークルが公民館に集まって練習することさえ禁止される。
スカイスポーツ界も、二〇二〇年の鳥人間コンテストが中止となった。二〇二〇年四月七日から五月二十五日まで、日本で初めての緊急事態宣言が発令、外出自粛要請が出たため、チームで集まっての機体製作が困難となり、機体の安全性が確保できなくなる事態が予見されたからである。
二〇二〇年四月中旬、外出が極端に制限され、世界中がもっとも鬱々としていた時期、石井は嬉々としてあるコンテストに向けて、新しい機体製作に熱中していた。そのコンテストの名称は、Corona Living Room Indoor Hand Launch Glider Postal Contest(コロナ・リビングルーム・インドア・ハンド・ランチ・グライダー・ポスタル・コンテスト)だ。