お隣の奥さんが掃除機とゴミ袋を持ってきて、和室も台所もきれいにしてくださったという。庭続きの家の奥さんは、食事を届けてくださった。出版社・成文堂の社長も駆けつけてきて、家の前の道を雪かき最中とのこと。

「正博は何をしてるの?」

「電話番。電話の前に座りこんで、『母が今日、帰ってくるので、いろいろなことはそれから決める、ということになっています。すみません』と、ずうっと言い続けてる」

息子も、非常事態に必死に対処しているようだ。私は成田で動けない。十分おきくらいに娘と電話で話す。博史を自宅に搬送する寝台車が病院に来るまでに、病院へ行けるか、間に合わないか。

とうとう、「葬儀社の方から、寝台車がもうすぐ病院に着く、という電話があった。ママは直接家に帰ってきて。パパには、オーパが付き添ってるから」ということになってしまった。

「わかった。病院には行かないで、家に帰るわ」(ああ、二人だけで過ごすお別れの時間が、なくなってしまった)

重い宣告を受け入れる気持ちで、自分に言い聞かせた。

後から思い返せば、夫と二人きりの時間が持てなかった結果、取り乱さずに済んだのかもしれない。もしも彼の変わってしまった姿に会っていたら「何か言ってよ!」と泣き崩れていたかもしれない。取りすがる機会をなくしてしまったことが、よかったのかどうかは、今もわからない。

最後にもう一度、誰も見ていないところで、思い切りハグしたかったのだけれど。

【前回の記事を読む】ネットニュースで初めて夫の事故死の概要を知った。取り返しのつかないことが起きたのだ...と明確に認識させられた瞬間だった

次回更新は2月27日(木)、21時の予定です。

 

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