「かおるが今日、この話を聞くことを事前に知ってたから、長崎を出る前に、辛い思いをする前に、いい思い出を作ってあげたくて、お正月はハワイに連れてってあげたんだよ」と言われた。

「お母さんと喧嘩していじめられて泣いてくるかおるが不憫で仕方なかったよ。苗字が変わる度に2~3歳の頃、新しい苗字の名前を覚えさせて、前の苗字は言わないように釘を刺したりしてね、心が痛んだよ」と。

「おばあちゃんが亡くなった時、かおるの名前を呼んでいたのは、本当は『かおるを早く恵子(ママ)に返して』と繰り返してたんだよ」とも聞いた。

おばあちゃんは死ぬ間際まで、私とママのことを心配してくれていたのだ。

なんて切ない…。

もしかすると、おばあちゃんがもっと長生きしてくれていたら、もう少しマシな環境で過ごせていたのかもしれない。

そして後から聞いた話だが、ママとパパが一緒に暮らしていた頃は、喫茶店とスナックを経営していて私の面倒を普段見ることができなかったため、平日、私は新田家に預けられ、週末だけママ達と一緒に過ごしていたそうだ。

だから当然小さい私は新田のお母さんにもなついており、お母さんはその小さい私の面倒を見るのは好きだったらしい。

でも小学生になった頃から私も自我が芽生えてくると、おとなしい典子姉ちゃんに比べて我の強い(それでも普通の範囲だと思う)私が煩わしくなってきたので喧嘩が増えていったようだ。

そして一時は山口家の養女にしようという話もあったらしいが、山口家は新田石材を継いで忙しいということと、おばちゃんが病気がちで大変だろうということで、結局は新田家の養女にされたと聞いた。

この時にもし、私が山口家の養女になっていれば、私の人生は全く180度違うものになっていただろう。

ママとの話が終わった頃に健二パパが出てきた。

私以外のみーんなが知っていたのだ。

知らなかったのは、私だけだった。

ママとパパは、その後、大げさなほど明るく振舞ってくれた。

私が落ち込まないようにと気を遣っているのだろうと思った。

そう思うとママやパパの前で泣いちゃいけないと思った。

「今日は疲れたからもう寝るね」と自分の部屋にこもった。

でも頭の中がぐちゃぐちゃすぎて、生まれて初めて一晩中眠れなかった。

考え込みすぎて、熱も出て、朝方には吐いてしまった。

心配かけちゃいけないからと、部屋でひとり、声を殺して毎日泣いた。

なにが悲しいのか、なぜ涙が出るのかもわからなかったが、涙が止まらなかった。

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※本記事は、2021年12月刊行の書籍『遠い夢の向こうのママ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。