7回目の入院は約1カ年となったが、陶芸や絵画に集中することで症状が改善した。
だが、良くなっても実の兄が退院させてくれず、主治医の強制退院指示と施設の所長の保護で、ようやく退院できた。
現在、私は在宅勤務で建築積算(型枠)の仕事に就いている。仕事は毎日あるわけではないので、休みの日は日々執筆している。
第2章 講演会で新構想を発表する
─2020(令和2)年・秋 糸満市の社会福祉センターにて
私は世の中を良くしたいという思いから市政に関わろうと考え、2021(令和3)年11月の糸満市議会議員選挙に出馬した。だが、落選した。私の力不足であった。
その前年の秋(当時63歳)、選挙に先がけて行われた講演会で以下のような講演を行った。その中で私がなぜ出馬したのか、私が抱いている構想とはどんなものなのかなどについて説明しているので、内容を多少整理して紹介したい。
恩師の教えで経済構造の改革に目覚める
私は沖縄県糸満市与座で生まれ育った。
高嶺小中学校、南部工業高等学校、沖縄国際大学商経学部経済学科夜間部を卒業した。小学校5年生、6年生の時の担任は高良先生(お亡くなりになった)だった。恩師・高良先生の思い出は、先生から車のカギを預かり、先生の昼食の弁当を車まで取りに行く役目を仰せつかっていたことだった。
小学生、中学生の時は、親の手伝いをしながら勉強も一生懸命したが、成績は普通。
高校生の時は過去の頑張りが実を結び、首席で卒業することができた。
高良先生の教えは、「今の社会はトップが変わっても変わらない。底辺が変わらなければ良くならない」というものであったが、このことを深く理解できたのは大学生になってからだった。なるほど高良先生が教えたかったことは、「経済構造が行き詰まっている」ことだったのだと悟ったのである。
私が本書のテーマである新構想を思いついたのも、高良先生のその時の言葉が大きく影響していると思う。