金魚鉢
横丁の外れの坂道を下りきったところに
馴染みのおそば屋さんがあります。
自家製の手打ち麺でいつも歯ごたえを
楽しんでいます。
そのおそば屋さんは店内で金魚とカメを飼っていて、
以前は金魚鉢に金魚が、
水槽にカメが入っていたのですが、
最近は水槽に金魚が金魚鉢にカメが入っています。不思議??
私は好んで金魚やカメの近くに座って、まわりの目を気にしながら
誰も見ていないとスッと蕎麦の切れ端を金魚に与えます。
金魚はパクリと食べて、その後は何事もなかったかのように平然とした顔をしています。
カメは顔を近づけると興奮して身体をガラスにぶつけて
ガリガリという音をたてます。
お品書きを手渡してくれたおそば屋さんのご主人は、とても物腰が柔らかくて、
どんなにお店が混んでいても静かに注文を待ってくれます。
お昼もかなり過ぎていました。
「あのーご主人」
「はい」
「あのー、カメ、今は金魚鉢に入ってますけど、以前は水槽に入ってましたよね」
「あーはい」
メガネの奥の目が少したれて笑っているようでした。
「実はね、カメが水槽から外に落っこっちゃったんですよ」
「お客さんにカメが落ちましたよーって言われましてね」
カメは外に出たんだ。
脱走に成功したんだ。
大脱走のスティーブ・マックイーンだ!
「あの日は水槽に、ちょっと水を入れすぎましてね。
カメが泳いで石の上に登ったようで。石も少し水槽の壁寄りにあったんですね。
カメは一生懸命、頭と足を伸ばして前足を水槽の縁に引っ掛けて、
頭をググッと絞り出して何度か反動を付けて、ゴツンと外側に落ちたようですね」
「金魚鉢ですと真ん中がくびれていて底が深いでしょう。
逃げにくいんじゃないかと思いまして」