Ⅰ.人間の最大の死亡原因は何か?

2 新規の根本療法がなかなか出てこない理由

医療現場の実態

かなり以前からだと思われますが、NHKテレビにおいて、医師の卵たちを解答者として迎え、彼らに患者の症状や検査データの一部の情報をヒントとして与え、それらの諸症状を持つその患者の病名を答えさせるという、医療関連のクイズ番組がほぼ週1で放映されていました。また、他の局でも、医療番組がいくつか放送されています。

私は、ごくたまにこれらの番組を見るのですが、臨床医学をよく学ばれているインターン生が数多くおられるのだなあと感心しています。私の父も、臨床医学をとりわけ熱心に学んだようです。そして実際、本書に記した研究成果をあげる上で、父自身の臨床医学に対する優れた能力が病気の根本原因解明をなし得ることに大いに寄与したと思われます。

父は、1937年に大阪帝国大学医学部を卒業後、東京の御茶ノ水駅前にある杏雲堂病院のインターン生となり、当時の病院長であった佐々廉平博士の直接指導のもとで循環器系をはじめとする臨床技術を学ぶこととなりました。ところが当時の医療は、ほとんどすべてと言っても過言でないほど、病気の根本原因が未解明な状態にありました。したがって、その治療は正に対症療法そのものであって、病気の各種症状を和らげることをもっぱら主なる目的としていたのです。

そのため、力の限り手を尽くして治療に当たっても、芳しい治癒成果の得られないことが往々にしてあり、医学の無力さを身に染みて父は知り、医学界はもっと基礎医学(病気の根本原因を究明する医学)研究に力を注がなければならないと強く感じたようです。すなわち、病気が原因不明状態のまま患者さんに対峙しているのでは、なかなか埒(らち)の明かないことが多くあり、抜本的に問題解決を図ることはできないという考えに達したのでした。

そこで、杏雲堂病院内の基礎医学研究部門である佐々木研究所(佐々木隆興博士が医学界初の文化勲章を受章したことを記念して1939年に設立された基礎医学研究機関)への配属変更願いを父は提出し、やがて同研究所への入所が認められ、基礎医学研究に従事することとなったのでした。