遠い夢の向こうのママ 毒親の虐待と夫のDVを越えて
私は喫茶店のカウンターに座っていた。カウンターの向こうにはママがコーヒーを入れたり洗い物をしたり、お仕事をしていた。お客さんは私以外にもいるみたいで、ママは笑っていて、楽しそうだった。私にも話しかけてるみたいだった。ここは長崎の中華街の端の小さな喫茶店。近くの公園で遊びたいなぁと思った。
「公園行ってくる」
と言って私は喫茶店をひとりで出た。いつもは誰かと一緒に行く公園だけど、場所はちゃんと知ってる、ひとりでも行けるはず。トコトコ路地を歩いて大通りに出る。この大通りを渡ると目の前が公園だ。どうやって渡ろう? いつもどうやって渡ってたんだっけ? 小さい私は横断歩道というものがわかってなかったようで、迷っていた。
わかった、この目の前を行き来している車が途切れた時に走って渡ればいいんだ。車の往来が途切れず、渡れるのかどうか、とても不安になってきた。不安を隠すため、私は仁王立ちになり、偉そうに腰に手を当て、車の往来を見ていた。うーん、なかなか車がいなくならないなぁ。
しばらくすると疲れてしゃがみ込んで、まだ車を見ていたが、車は途切れない。仕方ない、公園は諦めよう、とっても行きたかったけど。なんて言って帰ろう? 公園で遊びたかったけど、気が変わったと言えば、車が怖くて渡れなかったとバレないか。私は喫茶店に戻った。
「公園に行くんじゃなかったの?」
「公園で遊ぶのはやめた」
と私は嘘をついた。恥ずかしくて道が渡れなかったなんて言えない。
これは、なんの記憶だろう? 私の頭の中に度々浮かぶ情景なんだけど、夢? ママは長崎の人ではないし、そんな喫茶店なんかどこにもない。
そう、これは現実ではなく、いつか見た夢に違いない。
私の家は6人家族だった。おじいちゃん、おばあちゃん、英之お父さん、貴子お母さん、10歳も上の典子姉ちゃん、私。6人って多い! すごい! っていつも思っていた。ちょっと自慢だった。私はおばあちゃんっ子で、いつもおばあちゃんに相手をしてもらっていた。お母さんはなぜか私が近所の子供と遊ぶのを嫌っていた。たまには外でも遊んでいたけど、ほとんど家でひとりで遊んでいた。
おばあちゃんはいつも着物を着ていてその上に割烹着を着ていた。おばあちゃんが縫物をするのを見たり、料理をするのを手伝ったりするのが好きだった。