会場はシーンとしたことだった。その当時の気まずい雰囲気は神岡の頭に蘇った。陳思遠が心配しているのは、税務局に税効果会計を説明したら、今期の2000万の損失は、上海山田がすでに本社の製造ノウハウに頼ることなく、自社で試験研究機能を持つようになり、これから支払う日本本社へのロイヤルティが認められなくなることであった。
「そういうことがあるなら、早めに言ってくださいよ……」
神岡は謝るつもりで弁解しようとしたが、すでに陳思遠の怒りのスイッチを押してしまったことに気がつき、何も聞いてくれないことがすぐに分かった。
「分かりました。総経理に報告し、判断して頂きます」
神岡は言いわけをして、何とかその場から逃げた。税効果事件からしばらく経ったが、陳思遠は相変わらず口を利いてくれない。古川総経理も随分困って、二人を呼び出して一緒に食事をする機会を作ろうとしたが、陳思遠に「中国人を馬鹿にする日本人とは一緒にご飯を食べたくない」と言われて、とことん断わられた。
仕方なく、古川総経理は神岡だけを呼んで、日本料理屋で夕食を食べた。ビール2杯を飲んで、神岡がようやく口を開いた。
「確かに私は『おまえ、馬鹿か!』と言いましたが、陳さんを馬鹿にする意味はまったくなく、部下を可愛がり叱ったつもりで言ったのです。そんなに怒ることないじゃないですか」
そう言いながら、古川総経理のコップに日本酒を注いだ。
「1年間も信頼し合って、仕事をやってきたのに。これぐらいのことでそこまで怒るなんて、やりすぎじゃありませんか」と、神岡は少し酔っぱらって、古川総経理に愚痴を言い始めた。
「陳君は君の部下だと思っていたのか?」
と古川総経理は神岡に反問した。
「一応、私は経理部部長で、彼は副部長です。しかも、彼のほうが年下で、現地採用だし……」
神岡は突然古川総経理も本社からの出向ではなく、現地採用であることに気がつき、話を途中で止めた。
「肩書上はそうだろう。実力では、彼は決して君の下だと思っていないよ」
古川総経理は神岡の現地採用の話にまったく反応せず、真剣な表情で言い続けた。