オープニング
テレビマン
「人間の生きる意味を問う。そんな番組を作りたい!」
大きな志を胸に平成元年四月、バブルの只中。二十三歳のときに私は東京都内のテレビ番組制作会社へ入社し、テレビマン人生のスタートを切った。
アシスタント・ディレクター(AD)時代は、先輩たちの夜食からタバコまでを買いに走り、何日も会社や編集所に泊まり込んだ。タクシーがまったくつかまらないバブルの夜。そんな華やかな街をビデオテープがたくさん入った紙袋をいくつも両手に持って歩いていると、警察官から職務質問を受ける。何日も風呂に入れず、家にも帰れない。それが私のバブル時代の生活だった。
自主制作とは違い、会社から給料をもらって仕事をしている立場。ディレクターになっても自分のやりたいことができるわけではなく、日々与えられた仕事をこなすことに忙殺された。アフターファイブがないどころか自宅で寝ることもままならず、帰宅できたとしても、家に帰り着くのはだいたい深夜。そんな日が多かった。休日は疲れ果てて一日中寝て過ごした。
それでも、自分が知らない世界を垣間見て、いろいろな立場の人に話を聞ける毎日は、ワクワクの連続だった。
テレビマンといってもさまざまである。テレビ局のテレビマンと制作会社のテレビマンでは立場が違う。例えば情報番組の場合、テレビ局のテレビマンは基本、制作会社とやり取りをして、番組の質をコントロールする。いってみれば「管理職」的な色が濃い。もちろんテレビ局員でも、自ら現場に乗り込んでいる人はいる。しかし、そういう人はおそらくそんなに多くはいないと思う。
報道はまた違う。記者の多くはテレビ局員で、各省庁の記者クラブに所属したり、事件、事故の現場に向かう。
そのほか、生放送のワイドショーや、スポーツ中継、ドラマなど、テレビ番組にもいろいろある。でも私にはワイドショーやスポーツ中継、ドラマなどの経験がないので、現場がどうなっているのかわからない。このように、テレビマンといっても立場や担当する番組などによって、仕事の内容は大きく異なる。
私自身、思ったことがある。自分が学生時代にテレビ局を受験して、ことごとく落とされたが、いまテレビ局の人たちと付き合うとわかるのだ。あぁ、こういう人たちがテレビ局に採用されるんだな、と。
一言でいえば、「頭の回転が速くてキレる」。それもズバ抜けて。そして「強い意志」を持った人たち。
年下でも年上でも「すげーなこの人」という人が多い印象だ。もちろん例外はある。
でもテレビ局は大企業。バラエティーや報道を志望して入社しても、営業や経理、総務などに配属されることもある。テレビ局の人たちは、基本的に優秀な人が多いので希望以外の部署に配属されても、それはそれで頑張ってしまう。そしてその部署が、その局員を手放したくないといって、ずーっとその部署に留め置かれることも多いと、テレビ局の人から聞いたことがある。大企業でうまく生き抜いていくのは難しそうだ。