一九六五年当時の食品市場はまだ物が不足し、流通、決済、情報が整備されていないため、生産者はその機能を問屋に頼らなくては小売店や消費者に届けることができなかった。それは食品業界に限らず、あらゆる業界が問屋を通して流通していたので問屋の力は強かった。私の記憶では味噌問屋が都内だけで三十社以上、関東地区で百社近くあったと思う。その後、一九七〇年を境に日本経済も右肩上がりになり、私も家業を継いでから五年…
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