私の切なる願いが届いたからなのかはともかく、突如として母抜きの私と叔母だけの二人暮らしがスタートする。

祖父に続いて母方の祖母が体調を崩し、病院を受診したときは既に末期の膵臓癌と判明したのだ。やむなく一人娘の母は名古屋の実家に行ったきりとなり、自宅で日々衰弱していく祖父の世話とホスピスに入院した祖母の見舞いに明け暮れざるを得なくなった。

とはいえ、母がいなくなっても、ずっと思い描いていたようなバラ色の楽しい生活が待っていたわけではない。叔母は母から申し渡されたことをきっちり守った。山本家にとって私の医学部進学が至上命題となっている以上、預かっている私の成績が母のいない間に下降してしまうことは、絶対避けねばならなかったのだろう。

塾通いも、叔母と向かい合っての予習復習も、平日の夜の過ごし方は母がいるときと変わらなかった。ただ幸いなことに、週末や夏休みなど学校がない日の過ごし方については、具体的な指示はなかったらしい。

母がいなくなった初めての金曜日、二人で夕食を食べていると叔母がこう訊いてきた。とても意地悪そうな目をして。

「明日はとても良い天気みたいだけど、哲ちゃんは何がやりたいの? やっぱり、ママとよく行っている美術館巡りとか?」

「まりえの意地悪! 僕が何をしたいか、よくわかっているくせに」

これまでも二人だけのとき、親愛の情を込めて叔母を「まりえちゃん」と呼んでいたものだったけれど、このときばかりは、怒りに任せて呼び捨てにしていた。なのに、まだ叔母は私イジメをやめようとしない。

「わかった。じゃあ、月に一回だけは哲ちゃんの大好きなスポーツをさせてあげる。あとは、山本内科クリニックの大事な跡取りさんになるのだから、図書館とかプラネタリウムとかお勉強になるところへ行こう。それでいいよね?」

叔母は、さらに意地悪な目になっている。

「イヤだ。実は僕、やりたいスポーツがあるんだ。それも毎週」

「なんなの? そのスポーツって」

自分で私をスポーツ好きにさせておきながら、なおも叔母はとぼけたことを言ってくる。

「サッカーだよ」

実は五年生になったばかりのとき、体育の先生からサッカーのセンスを称賛されたことがあった。クラス対抗の球技大会で、フォワードを務めた私は五十メートル六秒台前半の俊足を生かして得点王に輝いたからだ。

そんなことがあって以来、地元の少年サッカークラブチームに入っている同級生から、おまえも入会してみないか、と何度か誘われていた。当時、Jリーガーはプロ野球選手以上に少年たちのあこがれだった。私も母の目を気にしながら、毎週末のテレビ中継を心待ちにしていた。

しかし、私が運動音痴と思い込んでいる母に、サッカーをやってみたいなどとは口が裂けても言えるはずはなく、半ば諦めていたところだった。

だが叔母は母とは違う。練習は土曜日の午後三時から六時までだけ週一回のクラスがあるからと切り出すと、こう言ってくれた。

「そうね、哲ちゃんにも息抜きが必要よね。そのクラブチームに入ったらいいわ。でも、必ずママから電話が掛かってくる九時までには帰ってくるのよ。バレないように」

「わかった。ありがとう」