第9章 祖母、父母の老いと死:孤独死を考える背景
2 父と母:安らぎ
グループホームにて
翌2012年のゴールデンウィーク、母が暮らすグループホームを初めて訪れました。
九州新幹線で熊本まで行き、そこで在来線(鹿児島本線)に乗り換え、千丁(せんちょう)という駅に向かいます。グループホームの最寄り駅です。熊本駅から見て、この千丁の一つ手前の有佐(ありさ)という駅が母の実家の最寄りの駅なので、熊本から千丁までの風景には見覚えがあります。
最後に母の実家を訪れたのが高校2年生の時だから、それから数えてもう40年、家並みや町並みは変わっただろう。でも、山や川は昔のままのはず。
千丁の駅で降りて、駅からグループホームに向かうタクシーから見えるささいな風景、たとえば道の脇を流れる側溝のような小さな用水路なども、思い出と懐かしさを呼び起こします。
グループホームに着いて、母と会うのですが、母は姉は覚えているけど(週1回くらいのペースで会っているから)、わたしのことはまったく覚えていません。これは想定の範囲内のこと。去年もそうだったから。ただ今回は、一緒に来た姉が「あんたの子供のゆたかよ」と強力に主張してくれたので、何とかわたしを自分の子供と認めました。
短期記憶能力が失われて、新しい情報は5分と保っていられないから、5分おきくらいに、
「ゆたかは今年でいくつになるか?」
「今はどこに住んでいるか?」
「野崎(母が生まれ育った実家のある場所)にはもう挨拶してきたか?」
と尋ねます。これも想定の範囲内。同じ質問には同じ答えを繰り返します。そして、
「背が高うなった」
という言葉も5分おきくらいに発しました。母の中では、わたしは小学生くらいの子供なのでしょう。結局、1時間くらい過ごしたでしょうか。